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安全でおいしいものを食べたいという気持から、有機農産物や無添加食品の共同購入を続けてきました。
下がるべき米価が政治圧力で据え置かれた食管制度に矛盾を感じ。
「なぜ?」 「米を勉強してみよう。」
主婦四人で農業関係者を職業別電話帳であたり、会合をもちました。1986年のこと。
百人を越える参加者がありました。
「知らないことばかり。 もっと続けよう。」と毎月の「お米の勉強会」も二百回に近づき、会員も350人を越えました。
大きな転機がありました。 阪神淡路大震災です。
被災して始めて知る 「都市は都市のみにて存在し得ません。」
「1995年から故郷村作りを求めてきました。自然と人が共生できる山里暮らしを、食べ物作りを通して、
まちから応援したいというおこがましい願いを持っていました。 しかし今、故郷村が必要なのはまちだとわかりました。」
消費者としてのみの立場からの脱却が始まりました。農山村の人達との交流が増えました。
山里の営みが生き生きと続くことが、田畑にも、環境にも大切だと考えます。
講師は農家の人、学者、評論家、米業者など多彩。現地見学会も開きます。
「意見の違いにこだわらず、自由に議論してもらいます」 2002年11月 27日
お米の勉強会代表 村山 日南子
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